協会のあゆみ

 栃木県聴覚障害者協会は1939年(昭和14年)8月29日に創立し、2019年で創立80周年を迎えました。

●1938年(昭和13年)
設立に向けて
山本要雄氏(箒根村)が他県のろう活動の様子を知り、栃木県でも同じろう者同士で集まり、意見を述べ、話し合って知識を持つ場が欲しいと考える。同級生である田野井敏哉氏(今市市)と相談し、日本聾唖協会部会設立の協力を頼む。

母校である宇都宮盲唖学校の三代目校長 佐取明吉先生を訪問し、ろう者の立場や栃木部会の創立趣旨の説明、聾学校の協力を申し出る。その結果、校友会(今で言う同窓会)の設立を条件に、部会創立の同意を得る。

荒井芳平氏(小山市)、石川進氏(都賀町)、高橋正午氏(鹿沼市)、田野井敏哉氏(今市市)、山本要雄氏(塩原町)の5名で、部会の設立問題について討論、何が必要が研究を進め、一方で全国本部には荒井氏が交渉役として話を進めた。

説明会を開催する、しかし…
部会設立に必要な会員募集と、設立の趣旨説明会を行うため、30名程に通知した。日程は聾学校の卒業式の日、会場は聾学校の寄宿舎であった。しかし、当日集まったのは少人数で、残念な思いのまま流会となった。

●1939年(昭和14年)8月29日
栃木県立聾唖学校(宇都宮市旭町)にて創立式典が行われ、来賓含め、約50名が参加し、「社団法人日本聾唖協会 栃木部会」の名称が発表され、日本聾唖協会33番目の部会、栃木部会として、会員40名、準会員17名で発会した。

日本聾唖協会栃木部会の創立式典 第2旭町校舎にて

午前10時より開催され、開会の辞、宮城遥拝、創立経過の報告、祝辞、役員選挙報告、閉会の辞などが行われ、役員が就任した。午後は日本聾唖協会本部理事の山岡理事による「時局に際し我等の覚悟」の講演会が行われ、午後4時に幕を閉じた。

●1940年(昭和15年)2月18日
栃木部会主催で「修養講習会」が行われ、日本聾唖協会本部理事の山岡理事、三浦理事らによる講演会が行われる。またそれまでバラバラだった「栃木県」と「宇都宮」の手話表現が統一された。
「栃木県」は山本要雄氏、「宇都宮」は船山正勝氏の手話表現が採用され、今日まで使われている。

修養講習会の様子

●1942年(昭和17年)4月
第二次世界大戦が深刻化し、日本聾唖教育会、日本聾唖協会、聾教育振興会、全国聾唖学校長協会の4団体が統合され、「財団法人聾唖教育福祉協会」となった。日本聾唖協会の傘下にあった栃木部会も聾唖教育福祉協会に含まれた。

●1943年(昭和18年)2月
聾唖教育福祉協会の栃木県支部が結成される。

●1945年(昭和20年)頃
宇都宮でも戦争の被害が多くなり、政府の集会禁止もあり、休会状態に陥る。部会維持の為に栃木県支部を分化し、地区別の小団体として活動する。塩那区会(矢板・船山正勝宅)、上都賀郡聾唖隣組、今市区会(田野井敏哉宅)、宇都宮倶楽部(小林正典宅)、大谷倶楽部が設けられた。

●1946年(昭和21年)秋頃
終戦とともに、聾唖教育福祉協会は自然消滅する。
地区の小団体を合併し、栃木聾唖倶楽部が設立される。この団体は全県下に呼びかけたものではなかったが、これが後の栃木県聾唖協会再建につながる。

●1947年(昭和22年)4月27日
栃木県立聾学校(宇都宮市駒生町)にて「栃木県聾唖協会」の発会式が行われ、再建となった。この時、初めて会長がろう者となる。
会長:田野井敏哉  幹事長:石井久  相談役:山本要雄

栃木県聾唖協会の発会式

●1947年(昭和22年)5月
藤本敏文氏の呼びかけで、群馬県伊香保温泉の小暮旅館にて全日本聾唖連盟が設立される。栃木県からは田野井敏哉氏、山本要雄氏など5名が参加する。

●1948年(昭和23年)11月
11月3日、関東聾唖連盟の結成式が栃木県教育会館(宇都宮市本町)にて宣言される。翌日の4日、同会場で第1回関東聾唖者大会が行われる。

●1949年(昭和24年)
この頃、会則にあった授産所設置運動が活溌になり、授産所設立準備委員会が組織される。

●1950年(昭和25年)
栃木県の指導のもと、5月7日に宝木授産所が開設され、和傘製造や挽物製造などを行う。10人ほどのろうあ者が従事していた。
また開設に伴い、聾者団体の活動と授産所の運営を分けようという意識のもと、栃木県聾唖協会を「栃木県聴力障害者福祉協会」と「栃木県聴力障害者授産所協会」の2つに分ける。

宝木授産所開設

●1952年(昭和27年)4月12日
2協会に分離したが、聾団体の文化的な事業と授産所の仕事が上手く行かず、授産所から独立した団体を組織しようという新しい考えが生まれた。その後、新しい規約が採択され、「栃木県聴力障害協会」が設置される。

●1954年(昭和29年)1月30日
授産所が資金繰りに苦しみ、閉所する。
その後、栃木県聴力障害者福祉協会は授産所と共に活動を停止することになり、栃木県聴力障害協会が栃木県唯一の聾者団体となった。

●1956年(昭和31年)7月
以前から組織として存在していた、宇都宮在住ろう者の組織「宇都宮聾友会」が栃木県聴力障害協会の支部として正式に発足する。8月15日には宇都宮市在住聾唖者福祉大会も行われる。
宇都宮に刺激され、他地域でも支部が設立される。
・芳賀支部(設立時:芳賀愛聾会)昭和32年4月
・足利支部(設立時:足利聾唖会)昭和32年9月
・塩那支部(設立時:塩那珂ろうあ支部)昭和33年9月
・下都賀支部(設立時:下都賀ろうあ支部)昭和35年1月
・鹿沼支部(設立時:鹿沼ろうあ愛友会)昭和35年4月

●1958年(昭和33年)4月
定期通常協会において、「栃木県ろうあ協会」に改称する。新しい規約に改正され、婦人部、野球部の設置が認められることになった。

●1959年(昭和34年)9月6日
旧)県教育会館(宇都宮市本町)大ホールで創立20周年記念福祉大会が行われ、213名が参加した。役員の熱気や名士等の援助により、豪華な内容となり、協会の飛躍的な発展に繋がる重要な大会であった。会員数も昭和34年度の84名から、昭和35年度は170名以上と、2倍近くになった。

創立20周年記念福祉大会 旧県教育会館にて

●1965年(昭和40年)
第10回国際ろう者競技大会(デフリンピックの前身)がアメリカで行われ、栃木県から代表として出場した高山道雄選手が25kmマラソン競技で銅メダルを獲得する。

国際ろう者競技大会25kmの表彰 右端が高山選手

●1968年(昭和43年)
栃木県立聾学校で口話法に手話法を併せ用いる「同時法」教育が開始した。

 それまで手話は「手まね」、「手わすら」として否定され、学校教育から排除されていたが禁止しても手話は無くならず、それならば手話はろう者に必要なものとして認め、米国のろう教育などを参考に、従来の口話教育に指文字や、従来の手話、新作手話、記号手話などを組み合わせて日本語に合わせた「同時法手話」とした。現在でいう日本語対応手話に近いものです。

栃木県ろうあ協会も同時法の趣旨に賛同し、手指法辞典作成に聾学校教員と合同で携わった。成人ろう者が利用している手話の語彙を集め、昭和44年10月に「手指法辞典」(上)が作成された(ろうあ協会と聾学校の共同著作)。その後も引き続き、(中)(下)が作成され、栃木聾学校の同時法推進に大きな役割を果たした。この辞典は昭和53年に合冊され、ろう教育へ手話の導入の先駆けとされている。
ろう学校教育に手話を導入することについて、全国の教育関係者の反対や、新作手話(記号手話)にろう者の批判もあったが、現在では普及している全国の新しい手話のほとんどが記号手話と同じような作りであり、また県内社会人ろう者の語学力の向上にもつながったとされている。

●1969年(昭和44年)9月7日
創立30周年記念福祉記念大会が行われた。

創立30周年記念福祉大会

●1970年(昭和45年)2月
宇都宮市一条町に「ろう者の家」が開設され(民家の6畳と4畳半の2部屋)、月2回の交流会や役員会、委員会などが行われ、ろうあ協会の活動拠点となった。ろう学校の先生方、親の会会員、ろうあ協会会員などから管理され、昭和49年に栃木県身体障害者福祉会館が設置されるまで、ろうあ協会の活動などを支えていた。

●1971年(昭和46年)
栃木県衛生民生部長を囲む懇談会、宇都宮市長を囲む懇談会を開催した。ろう者の生活の現状、要望などを伝えた。

●1972年(昭和47年)
ろうあ協会の働きかけにより、手話のできる専任職員が栃木県庁に配置された。

●1973年(昭和48年)
手話奉仕員派遣事業が正式に栃木県事業となり、ろうあ協会委託になる。

●1979年(昭和54年)9月30日
宇都宮市スポーツセンターにて創立40周年記念福祉大会が行われ、知事、県会議長など多くの来賓が参加した。

創立40周年記念福祉大会 宇都宮市スポーツセンターにて 

●1988年(昭和63年)4月
定期総会にて「栃木県聴覚障害者協会」と改称。

●1989年(平成元年)10月29日
宇都宮市文化会館にて創立50周年記念福祉記念大会が行われ、記念式典、特別講演などが行われた。同窓会の協力もあり、県外から1100名前後が参加した。

創立50周年記念福祉大会 宇都宮市文化会館にて

●1998年(平成10年)9月13日
栃木県教育会館にて創立60周年記念福祉大会が行われ、記念式典、手話コーラス、手話劇などのアトラクションが行われた。

創立60周年記念福祉大会 県教育会館にて

●2000年(平成12年)
全国で26番目の視聴覚障害者情報提供施設とちぎ視聴覚障害者情報センターがとちぎ福祉プラザ内にオープンした。

●2006年(平成18年)
障害者自立支援法に関わる手話通訳利用料1割負担の反対運動が行われる。県内では有料を予定していた15市町に反対説明運動を進めた。

●2010年(平成22年)3月27日
創立70周年記念パーティーが行われた。

●2016年(平成28年)3月3日
手話言語法意見書運動が、再提出した芳賀町議会の採択をもって全国1788市区町村議会の意見書採択のラストを飾る。

●2016年(平成28年)7月
将来のろう高齢者、ろう重複障害者の就労支援、介護施設を目指して民家を借用し、「ふくろうひろば」を開所する。

●2019年(令和元年)9月29日
とちぎ福祉プラザにて創立80周年記念大会が行われ、式典、パフォーマンス、資料展示などが行われた。